生まれた家が創価学会だったことによって、常に「創価

生まれた家が創価学会だったことによって、常に「創価学会」というフィルターを通して見る外の世界を当たり前と思わされてきたのです。
特に「創価学会」に歯向かう相手は「悪」という考えは、相当純粋な子供心を偏屈に導いたと今では思う。
単純に相手方を「悪」と名指しするのは楽で、気持ち良くて、そして騙しやすく誘導しやすいのだろう。
今の姿は今作られたのでは、過去に既に作られた結果なのだろうな。
溜め息。

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